−Fellows− 


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 彼女は高貴で高慢な娘だった。家柄は由緒正しい名門貴族で、父は夜の国の王の右腕と名高い政治家、母は当時の将軍の一人娘で剣の名手。彼女自身も両親の才をそれぞれ濃く継ぎ、父の非凡な頭脳と母の苛烈な性格を合わせ持って生まれた。
 気の強さも剣の腕前も、奥ゆかしさを求められる令嬢の品位を損ねるほどだった。しかし、雪のように滑らかな肌と、冬の月より神々しい金の髪、上質なルビーより紅く深い色の瞳が、何人もの男を引き付けて放さなかった。
 とても御することなどできない女であると知ってなお、地位も才能も美も完璧な彼女の心を得るため、彼らは自ら膝を折った。せめて彼女の元へ下りたいと願う者が後を絶たなかった。
 娘は自分より劣る男らを見下し、誰一人として真剣に愛しはしなかった。だが、彼女はある時に、自分に決して平伏さない、何を言おうと何をしようと敵わない相手と出会う。彼は娘を欲しがって近付いた訳ではなかったが、娘に魅入られ、本気で誘惑され、最後には彼女に惚れてしまった。
 娘は望みを叶え彼と結ばれた。その男は彼女に劣るものなどなかったし、彼女の傲慢に嫌気が差せば捨てることも簡単だった。だが、だからこそ、彼は惚れた娘の我が儘を寛大にも笑顔で聞き入れた。その懐の深さも持っていたのだ。娘は彼の愛を疑わずに思う存分付け上がった代わりに、誰にも許さなかった愛の全てを彼に捧げた。
 娘の名はエレノア。夜の国の王、ゲイム・ファーストを捉えてみせた魔性の女は今、息子が可愛がっている妹姫、そして彼女が連れ歩く犬に夢中だ。

−Lady Eleanor−

 夫はいつでも仕事、妻の自分は今日は予定がない。暇を持て余し、その日は満月が美しいからと庭へ出た。しばらくメイドを引き連れて散歩を楽しむと、遠くに威勢の良い掛け声と金属を打ち合う音が聞こえた。
 幼い頃から、祖父や母に習い、自身も剣を握っていた。半端な男なら簡単に倒してしまう腕は、自らが母となった今もそう衰えてはいない。いい遊びになるだろう。
 気紛れを起こした彼女は、女が、王族が足を運ぶことはあまりない場所へと向かった。次第に大きくなる音も声も、昔はよく聞いていたものだ。そして、彼女が現れて広がる声も、いつだって同じで代わり映えがない。
 場違いなことへの驚きや動揺、美しさへの称賛、隠れて聞こえるのは何も知らない愚民の嘲りと、全てを知る者の怖れの言葉だ。
 勝手を知り尽くしているように、彼女は止める間もなく訓練場に入り込む。突然現れ危険な場所に足を踏み入れた美女に、手を止めた男達の視線が集まる。
「うむ、皆励んでいるな。そこの男、剣を二本持っておいで。あたしの前に立ちな」
 白い面の中で、紅の唇が少女のように愛らしく弧を描く。高慢な言葉に続き、細腕を優雅に振るって一人を指した。指された若い兵士は訳が分からず、共に訓練をしていた仲間と顔を見合わせる。
 彼らを指導していた上官と思わしき男や、彼女に付いてきた気弱そうなメイド達は、彼女の暴挙を止まらせようと声を上げた。だが、寄ってきた軍人の腰から剣を奪い、慣れた仕草で延びてくる腕を潜り抜ける。
 踊るようにドレスの裾を捌き、兵士との距離を詰めた。彼女は指名され立ち尽くす若い男に切っ先を向ける。深紅の瞳は喜色に妖しく光り、本気を感じた相手はたじろぎながらも剣を構える。
 女は満足そうに頷くと、細身の剣を片手で下段に構えた。誰も彼女を止められないまま、聞く者を魅了する鈴の声が高らかに名乗りを上げる。
「女と思って見くびるんじゃないよ。我が名はエレノア・ファースト、王妃だからって遠慮はいらない……いくよ!」
 相手が何者か分かり顔を真っ青にする兵士に、遊びではない速さで剣が突き出される。だが、彼は訓練の成果を発揮出来ず、女に見入ってしまっている。部下が身動きをとれないと見るや、彼の上官は剣を逸らそうと鞘をベルトから引きちぎり投げ付ける。男に、最悪王妃にでもいい、ぶつかってくれれば軌道を外してやれる。
 だが、女の剣速はそれも許さない。勝ち誇ったエレノアの顔の中で、響いた金属音に眉が跳ね上がった。踏み込んだヒールが土に少し食い込み、蹴り上げたドレスの裾が恥じらうように細足を隠す。美しいルビーの瞳がつまらなそうに視線を送る先で、同じ紅い瞳が呆れを浮かべていた。
「まったく、俺の神出鬼没ぶりは母親譲りだな。今度アズに文句付けられたら母さんのせいにしとくか」
「構わないよ。ただし、アズにはあたしのところへ直接文句を言いに来させな。帰してやらないから、お前はもう文句も言われなくて済む」
 兵士を守るように、横から突き出された紅い長剣が女の剣を受け止めている。突然現れた男は軽口を叩きながら、少し困り顔でエレノアの美貌を見下ろす。良く似た紅瞳が不満そうに細められると、彼は居心地悪げに目を逸らした。
「頭にくるね。我が子に剣で劣るだなんて」
「や、母さんはいい腕してるって。技量も度胸も気迫もそこらの軍人よりある。狙われたこの兄ちゃんには同情したいよ。だからあの、麗しのお母様、お母様のドSな遊びを邪魔できちゃった俺の剣の腕は男女差のおかげだったってことで、見逃して下さい」
 力を抜いた剣を弄び、こんこんとエレノアは男が握る紅い剣を叩く。叩かれる剣をいつ引こうか考えつつ、彼女の息子、レイス王子は斜めになった母の機嫌を立て直そうとした。止めずとも、彼女に兵士を殺す気はなかったのだろうから、まったく余計なことに手を出したことになる。
 夜の国の王妃エレノアの苛烈な気性と剣の才を継いだ王子は、並ぶ者のない強さを誇る軍人に育った。幼い頃はどうであれ、今となっては体格差もあれば腕力も体力もあって余る若い男に、女が本気で手を上げても敵うはずはない。
 しかし、気位が高いエレノアは「男女差」が自然の摂理であっても納得しない。レイスの御機嫌取りはあまり効果がなく、止めに入りたいなら身を盾にすればいいだろうと、そうすれば真っ二つにしたのにと文句を垂れる。
 夜の国はこの世界にある大国の一つだ。対をなす昼の国と宗教や文化、価値観等の違いから、長い歴史上で争いが絶えなかった。だが、当代ゲイム国王は戦いを望まず、その知恵と人柄とで国や世をも鎮め支配している。
 争いが少なく、好戦的なエレノアやそれに似たレイスは少々気持ちを持て余しているのだ。だから、この争い好みが何かのきっかけで絡むとなかなか離れない。
 エレノアは不本意ながら息子が殺しても死なない程に強いことを知っている。レイスも彼女が男勝りな女傑として、若き日を過ごしてきたことを知っている。本気で剣を交えるのにこれ以上の相手はない。しかし、彼は母の誘いに乗ろうとしなかった。
 夜の国の最強と言われながら、レイスはエレノアと戦うことを避けている。守る理由は山のようだが、争う理由は欠片もない。そして、負けるはずがないのに、勝てる気もしないのだ。
 少し吊り気味の、美しい紅瞳が楽しそうに煌めく。文句を言うのには満足したようで、濃い赤に染まった唇が完璧な微笑みを作り、周囲の男共を唸らせた。
「レイス、最近体が鈍っているようだから、少し付き合っておくれよ。その若いのの代わりをするために前へ出たんだろう?」
 答えるのは覇気に欠けた声だ。いつもなら彼も傍若無人で身勝手で我が儘でと言われる側だが、母の前では調子が狂い、まるで苦労人のようだった。
「あんたを止めるために出たんだって……。母さんが剣を使えなくなったって誰も困らないから、訓練に自主参加するのホントに止めてくれ。暇潰しなら乗馬とか優雅でいいんでない?」
「おや、鞭かい? いいだろう、アズはどこにいる? 鞭をここへ。レイスがあたしの鞭捌きを見たがるのは初めてだね」
「待て待て。ここは軍人さんの訓練場だぞ、任されてんのは俺だぞ。この女王様の言うこと聞くな」
 細眉を持ち上げて少し驚いた顔をする。しかし、すぐにエレノアは逸らされようとした話題を軌道修正してみせた。どうあっても息子を逃がさないつもりだ。
 レイスはというと、遠くでこっそりと様子を伺っていた青年が、どこからともなく鞭を取り出すのを見付け、嫌そうに手を振り制止する。きょとんと動きを止めた彼が、レイスの幼馴染みで今は王子の従者兼秘書のアズだ。
 爽やかな青い髪と瞳を持ち、細身で大人しそうな風貌と雰囲気をしている。柔らかな見た目と若さからは想像しにくいが、夜の国一と名高い魔法使いだ。そのアズも、仕える相手は違うが、王妃の指示は無下にはできない。
 深い湖から汲んだような青い瞳が、手にした鞭とエレノア、主人であるレイスを行ったり来たりする。彼の様子に溜め息を吐いて、レイスは毛先の跳ねた黒髪を雑に掻き回した。母がさらなる要求の声を発するより早く、剣を引いて従者のそばに、言うことを聞けとお説教をしに向かう。
 大切なおもちゃを逃がすものかと、もちろんエレノアは後を追おうとした。だが、彼女はふいに動きを止めると後ろを振り返る。王妃と王子のいざこざを遠巻きに見ていた兵士達の一角が、喜びの声を上げて誰かを囲んでいる。
 エレノアの息子への興味が一瞬失せた。それを見たレイスは悪戯っ子の表情でアズに駆け寄り、戸惑う魔法使いの手を引いて訓練場から逃げ出す。この場を任されていたはずの男は、デスクワークが溜まっているのを思い出したと大嘘を吐いて消えていった。
 だが、獲物が逃げたことに気付いた様子もなく、王妃は針のように細いヒールを操り人だかりへ吸い寄せられていく。今度は何に目を付けたのかと、レイスなき今は指導監視役となる兵士とメイド数人が、心配そうに彼女の後を追う。
 集まっているのは若い兵士ばかりだ。口々にまた来たかと、自分が相手になると誰かを煽っている。声の中には柔らかいものも混ざっていて、そちらは相手を褒めたり甘やかすような言葉が多い。
 レイスを構っていた王妃がやって来たのに気付き、慌てたように兵士達は脇に避けてかしこまる。人垣の中心にいたのは、エレノアが暇と馬鹿息子を忘れるのに十分な人物だった。美しい顔に笑み満たし、やや腰を屈めて、普段より優しい声で名を呼ぶ。
「おやユキ、こんなところで何をしているんだい?」
 問われた相手、逃げ損なった兵士や護衛役に囲まれた少女は嬉しそうな笑顔で応える。少女が声をなくしたといわれるほど寡黙なことを知っているエレノアは、挨拶の言葉がないことに気を悪くすることもない。駆け寄る愛娘の銀髪に手を乗せて、彼女は新たな遊び相手に満悦の笑みを浮かべた。

 華やかに結い上げた神々しい金髪に、褪せない宝石のような紅い瞳、子があるとは思われない瑞々しい美貌にどこまでも女性的な体つき。衣装が衣装なら王女としても女王としても振る舞えるエレノアの美しさは、残念ながらどれも彼女の愛娘には見られなかった。
 エレノアの隣に座って興味深げに光るのは、真昼の空に似た蒼い瞳で、肩を隠す長さに伸びるのは輝く銀髪。美しいという点でさえ、印象が違いすぎて母と娘の関係を疑ってしまう。片や見るものを平伏させる攻撃的なまでの美、片や儚げで触れることを躊躇わせる美。
 ならば父親に似たかといえば、それも違う。兄のレイスとも似たところはない。それもそのはず、この娘は養女として迎えられた血縁のない娘なのだ。
 傍若無人な王子がどこからともなく保護してきたユキを、王や王妃はすんなり家族に受け入れた。とくに娘を欲しがっていた王妃は、可愛い着せ替え人形を得るまたとない機会と捉え、誰よりユキを歓迎した。
 素性の知れない娘を王家に、彼女を姫として迎えることに反対する者は多かった。しかし、王子が批判的な意見をことごとく握り潰し、姫を中傷しようものなら命まで握り潰しそうな強硬姿勢に出たため、国の有力者も口を閉じるしかなかった。そして、ユキ自身が夜の国に従順で淑やかで、味方は増やせど敵を増やすことはほとんどないことから、今では存在を認められる立派なお姫様になった。
 エレノアはこの娘を大変に可愛がり、彼女の機嫌が悪い時はユキを呼ぶ、というのが世話係達の常套手段になるほどだった。その愛娘が少し前に、兄から護衛兼世話係兼ペットをもらったとエレノアは耳に挟んだ。
 彼女の護衛は身分を弁えてのことか、王妃の護衛に遠慮があるのか、いつも少し離れたところに控えてあまり寄ってこない。王妃に付いている者に紛れて、隠れるようなことまでする。それが、無防備に表情をさらし、目の前でよく観察できる状況でいるのが、エレノアは嬉しくて仕方がない様子だ。
「あれが噂の犬なんだね。お前が護衛役に犬を連れているのは分かっていたけど、あの姿を間近に見るのは珍しいことだ。なかなか可愛いじゃないか」
 二人はメイドに敷物を用意させ、訓練場の隅にある芝生で兵士達の様子を見ている。話を聞いたところ、ユキの身辺警護を任されている獣人の兵士は元々ここの者だったそうで、近頃は姫の散歩の途中などに立ち寄るとのこと。ユキが彼の受けてきた訓練に興味を持ったことがきっかけらしい。
 温いお茶を飲みながら、少女は微笑んで兵士達に小さく手を振る。彼女の護衛は元同僚にあたる兵士と一対一で拳を交えているので、手を振り返すことはできない。代わりに、訓練を抜け出して彼らを囃し立てている仲間達が応えようとして、エレノアの御前では慎むべきか悩むように控え目に手を上げた。
 その可愛らしい反応に王妃はにっこりと微笑み、ユキと並んで上機嫌に手を振ってやる。兵士達は華やかな彼女らの笑顔に慌てふためき、今度は嬉しさを全身で表現するかのように手を振り回した。
 ユキは争いごとをひどく嫌うが、この剣や槍、弓や斧も使う訓練に対しては、国を守るために必要な行為だと理解している。時には本気で武器を使うため流血沙汰がないとは言えないが、彼らが汗水垂らして技を磨く姿から、彼女が目を逸らすことはなかった。
 ユキの護衛役は彼女の争い嫌いを知り、腕慣らしにここへ戻る時は一人で来ていた。しかし、見たいと言われて断れず、それ以来、姫と共に来るようになった。色気の欠片もない軍人の集まりの中、真摯な眼差しで働きを見つめる姫に、彼らは癒しを感じているそうだ。
 エレノアは薔薇の赤で染めた唇に笑みを乗せ、ユキは自分に似て男の扱いが上手くなるのかもしれないと、今後の期待に一人頷く。
「名前はセシルと言ったかい? もっとゴツい男かと思っていたけど、若いし、兵士にしては小柄だね」
 耳元に囁くと、ユキは笑顔のまま小さく首を傾げた。母の評価に否定的な色を感じなかったのか、年や体格が欠点になると思わないのか、少女は穏やかな表情で紅茶を飲みセシルに目を戻す。
 甘い蜂蜜色のふわふわした髪、ぱっちりとした瞳も同じ色をしている。見た目から若いと言われるが、それは間違いではなく確かに彼はまだ少年の域にいる。獣人の特徴である獣姿を人の姿にも残す彼は、頭に三角の耳を生やし、顔立ちの幼さもあって可愛い男の子といった風だ。
 だが、軍人の兄が妹姫の警護を任せるだけの能力は持っている。ぽんっと間抜けな音を立てて白い霧が吹き出し、晴れるより早く狼が飛び出してくる。蜂蜜色の柔らかな毛並みに鋭い牙と爪。体格は人型の時より逞しく、四ツ這いの状態でユキより目線が上になるだろう。
「まぁ、化ければ一噛みで敵を倒す番犬になる。普段はあんなに可愛いくせに、見た目では分からないもんだね」
 狼は獰猛に牙を噛み鳴らし、相手を押し倒そうと飛び掛かる。相手役の兵士は長槍を武器にしていたが、爪を避けようとして穂先を地面に引っ掛け、よろけたところを押さえ込まれてしまう。
 ほとんど自滅したようなものだ。セシルの戦いぶりを称える声より、相手を笑う声の方が大きい。そして、負けた兵士が変化するなんて卑怯だと喚く声が一際は大きく響いた。
 子供の喧嘩とさほど変わらないなと王妃も笑う。隣では姫が自分の護衛を褒めるように拍手した。
「そうだ、ユキや、これからあたしの部屋においで。仕立て屋を呼び付けて、二人で揃いのドレスを仕立てよう」
 一段落ついたと手を打って、エレノアは少女に首を傾げて見せた。娘ができたらやりたかったことの一つだと彼女が楽しそうに話すから、ユキもお揃いのドレスを着てみたいと瞳を輝かせる。
 ちょうど今日は暇を持て余しているし、からかうと面白そうな玩具が手元にいる。そばに控えていたメイドに仕立て屋を呼ぶよう言い付けて、王妃の警護に付いて回っている護衛の一人にセシルを呼ぶよう指示する。愛娘と着飾るのは母の楽しみだよと笑いかけ、彼女はドレスのイメージを膨らませた。

 ヒールが床を叩く音に、絶え間なく続く王妃の声に、セシルの耳は元気なく動いている。姫の護衛に就いてから、彼も何度か王や王妃と会う機会はあったが、元がただの一兵士に過ぎないセシルとしては、顔を見ることも恐れ多い相手で緊張しきりの様子だ。
 王や王妃がいる時は、上位の護衛に圧されたのを理由に離れていたし、普段から人の姿の時は何歩も後ろからユキの後を付いて歩く。訳もなく王妃の正面になど立たないようにしていた。
 ユキの散歩には狼の姿でいくことが多く、エレノアと視線が合うことも、エレノアの関心が向くことも最近はあまりなかった。ユキ付きになってしばらくは無意味に呼び付けられ、頭を撫で回されたり芸は出来るのかと試されたりしたが、最近はただの姫の犬として見られていた。
 なのに、今日はまったく違う扱いを受けている。王妃付きの護衛に呼ばれて戻ると、まずエレノアに今日は人の姿でいるように命じられた。そして、これから服を仕立てるから付き合え、部屋まで自分とユキをエスコートしろときた。
(た、助けて)
 左からは腕に腕を絡ませ、少女のような瑞々しさの女が笑みを振り撒いている。その笑顔の大半はセシルを通り越し、彼の右手を握る儚げな印象の少女に向いていた。エスコートしろとは言われたが、身長差があるため手を繋ぐのが関の山だ。エレノアのように腕を組むのは厳しい。
 セシルは持て余すほどの上等な花を両手に抱えて、身動きできない、息も吐けない状態だった。王妃が御機嫌なのだから、その邪魔をしてまで彼女の護衛達が助けを出してくれるはずはない。ユキも可愛がってくれるエレノアには心を許すようになったため、まるでレイスやアズに見せるような顔でほにゃりと笑って楽しげだ。
 蜂蜜色の髪から生えた三角耳をぺたりと伏せて、動揺に定まらない視線でなんとか王妃の部屋までの道を見る。時折振られる話に耳を立てては、曖昧な言葉を返しやり過ごす。王妃や姫のエスコートと言うには、あまりに無様だった。
 だが、彼女達が気にしている様子はない。服や宝飾品の話は女性同士なら通じやすいものなのか。どんな形のドレスにしよう、どんな色が二人の髪や瞳に映えるだろう。セシルに意見を求めては彼の答えは無視をして、二人、いやエレノアは小鳥のように囀ずる。
「あぁ、あたしがもう少し若ければ可愛らしいピンクのドレスを着たのに」
 嘆く王妃に十分若いと世辞を言うこともなく、顔色の悪い少年は廊下の先に目的の扉を見付けほっと息を吐く。
「ねぇ、あたしがピンクはさすがに身の程知らずだろう?」
 からかいと世辞の要求を言葉に乗せ、王妃は美しい微笑みをセシルに向ける。どこかレイス王子と似ているその笑みを見ないまま、早足に扉へ向かうセシルはかくかくと頷いた。
「あ、はい。ピンクいいと思います」
「お前、ちゃんと聞いていないね? なんだい、この可愛らしい耳は飾りかい?」
 するりと解けた片腕がのび、少年の強張った顔の上にある耳の先を摘まむ。痛いと騒ぐほど力は入っていないが、こそばゆさにセシルは身震いをする。手を払いたくてもそれは無礼だと分かっているし、非力な女子供の拘束とはいえ両腕を捕まれて自由はない。
 足を止め、摘ままれていない耳としっぽをこれでもかと下げきって、若干涙目のセシルは王妃に「すみません」と謝る。その様に慌てて割り込んだ姫が、王妃の白い腕に指先を触れ、許してやってと目で訴えた。
「ユキはこの子に優しいね」
 怒ってなんかいないよと彼女がくすくす笑うと、少女は不思議そうに首を傾げる。しかし、彼女はエレノアの手をとると、手の平に細い指で短い単語を書く。二人の陰になってセシルには見えなかったが、少女の告げた言葉に王妃ははにかんだ笑みを作る。
 両腕を解放されたセシルは耳を掻いたあと、そのまま隠すように押さえて目を瞬かせた。ユキが何と言ったのか気になって、しかし迂闊に首を突っ込むのは怖くて、しばらく様子を窺う。二人の美しい人は、星々の囁きを真似るように小声で話して、王妃の恋に浮かれる娘の笑みに、姫は戸惑うような表情で応えた。
 満足したようで、エレノアが背筋を伸ばしてユキの手を取り、自室への歩みを再開する。王妃の気紛れから解放されたと安堵した少年が後に続くと、彼女は振り返り悪戯な紅い瞳をセシルに向けた。
「ゲイム様のような完璧なエスコートなんて期待しちゃいなかったけど、こんなお粗末じゃ先が思いやられるよ。うちの馬鹿息子はあれで女の扱いは上手いから、紳士の振る舞いを少し習うんだね」
 たかが護衛に必要なことなのかと言いたかったセシルだが、しっぽをだらりと下げて「精進します」とだけ答えた。

 エレノアとユキはしばらく甘い紅茶と可愛いお菓子を楽しんで、仕立て屋が来るのを待った。普段から王妃は思いつきで衣装を欲しがるため、現れた仕立て屋は慌てながらもどこか慣れた様子だった。
 王妃が彼の挨拶を遮って「娘と揃いの形のドレスが欲しいのだ」と言えば、初老の仕立て屋は微笑ましげに「では普段姫様がお召しになるレース使いのものを王妃様も? 逆がよろしいかな?」と今まで仕立てた衣服の図案帳を開いて見せる。
 最近の流行りものもあると別の冊子を、新しく考案したものだと三冊目を出され、王妃や姫と、王妃が可愛がるメイドも数人交えてはしゃぐ。
 護衛達は彼女らが楽しげに笑い合うのを部屋の隅、扉の脇で眺めている。セシルと王妃付きの護衛は言葉少なに最近の警備に関してや、王族の周囲の噂など情報を交換していた。
 王妃の護衛兵士は彼女の趣味か、レイスと同世代の若者が多い。セシルからすればお兄ちゃんのような者ばかりで、見た目が頼りなく、反面愛嬌のある獣人の少年は何がなくても可愛がられる。それが、王子の手で姫付きに選ばれ、王子付きの魔法使いアズとも親交深く、腕もそれなりとなれば一目置かれるようになる。
 妬みも多いが温厚な性格は仲間を呼びやすいようで、本人はいまだに怖々だったが、いつの間にか王妃の護衛には仲が良い者が多くなった。私語を注意されない程度に、会話は最近食べた美味しい定食の話になっていた。
 と、好みのドレスを見付けたエレノアは、仕立て屋が持ち込んだ布地を比べ始めた。王妃が突然服を欲しがるため、ここにある大きな荷箱の他に、城には布の保管用の部屋がある。だが、気に入ったものが荷箱に見付かり、生地を広げてああじゃないこうじゃないとまた賑やかになった。
「これセシル! ちょっとおいで!」
 強い、しかしキツいのとは違うはっきりとした声で呼び付けると、セシルがはっと顔を向けた。王妃の手招きを受けて、彼は慌てて駆け寄ってくる。しかし、女性の服選びの場に入るのは気が引けるようで、耳はぺたりと折れている。
 怯えすら見える少年に、銀髪を揺らして少女が微笑みを向けた。柔らかな表情に耳としっぽが元気を取り戻し、控えめな笑顔と「ドレス決まりましたか?」と言葉が返される。ユキは一つ頷くとリボンを二本見せ、自分と母を指す。深い赤と、濃い青と。
「ドレスの生地は黒に決めた。形はまだ秘密だ。飾りのリボンをどちらの色にしようか、ユキはお前に選んで欲しいそうだよ。もう一人『昏守』を呼びたかったそうだけど、どこの誰だい?」
「分かりません」
 きっぱりとした声に、エレノアは目を丸くした。ころころと可愛らしい表情を見せるセシルには珍しい、淡白で無愛想な答え方だ。しかし、ユキが驚きとも悲しみとも似た顔を少し見せると、すぐに彼は慌てて笑みを作り「リボン見せてもらっていいっスか? この他には?」と姫の前にしゃがむ。
 エレノアは握った手で口元を隠し、赤い唇の端を吊り上げた。瞳は面白い玩具を見付けた喜びに輝きを増し、気付かないセシルの背後で値踏みするように細くなる。
(へぇ、『昏守』は気に食わない相手、か。もしくは、ユキが気にかけるのを嫌がったか。誰だろうね。単に嫌いなのか、でも今のは嫉妬に見えたね)
 仕立て屋から黒絹に白のフリルを少し入れ、袖口や胸元にリボン入れると説明を受けながら、少年は数本のリボンと生地を当てて立つ少女の銀髪や蒼眼を見比べる。続けて、王妃を振り返ったところで目が合った。
 美しいルビーの瞳が浮かべる色に、セシルは不吉を感じたらしい。耳としっぽがふんわりと僅かに毛羽立ち、何を言うでもなく固まる。ヒールを鳴らして愛娘のそばへ寄り、エレノアは黒絹を細い体に緩く纏わせて少年に向く。
 妖しい笑みを浮かべ「ユキばかり見てないで、あたしにも似合う色を選んでおくれよ」と首を傾げてやる。くすくすと笑う王妃を見て、彼はエレノアが自分をからかっているのを悟った。反論したいのか、それで墓穴を掘ることが怖いのか、口を開け閉めして反応を迷う。
 王妃は細い顎をついと少し上げ、蜂蜜色の瞳を見下ろす。背の高さはセシルの方が高いはずなのに、はっきりと見下ろす。
「からかい甲斐のある可愛い子だね。こんな息子がいたら、さぞ楽しいだろうよ。ああ、欲しくなってきた」
 御機嫌なエレノアにユキは不思議そうに目を瞬かせ、セシルはリボンを皺ができるほど握り込んで、一言も喋れなくなった。

 普段のエレノアなら、私室にまで護衛を置いたりはしない。自分と家族、余程気の許せる者しか招かない。用があって呼び付けることはあっても、他人を長居などさせたことはなかった。
 しかし、今日はユキも来ているし、仕立て屋のような部外者もいるし、念のためにいて欲しい。と、もっともらしい理由で二人の護衛を扉の両脇、部屋の中側に立たせている。もう一人は、窓際のテーブルの横にいる。
 広い部屋には衝立をいくつも立てて一角を仕切り、今は姫がドレスの採寸を計っていた。仕立て屋が巻き尺を使う音やメモを取るペンの音を聞きながら、エレノアは御機嫌でマカロンを齧る。
 テーブルには紅茶と茶菓子を運ばせ、仕立て屋が持ち込んだ新作のドレスの図案書をめくり、時折視界の端で動くしっぽを摘まんで遊ぶ。王妃のそばにいるのがもう嫌々だという顔のセシルに、ピンク色のマカロンを勧め食べさせた。
「お前は剣は使うのかい?」
 先程の訓練風景を思い出しながら、紅い瞳で少年の顔を見上げる。少し離れた所を選んだのに、手の届くテーブルサイドに引き寄せられたセシルは、疲れの滲む蜂蜜色の瞳を天井に向け、首を傾げて考える。
「訓練で基礎は覚えました。でも、獣人は爪と牙がありますし、私は体術の強化を選びましたし……大きな剣や槍は荷物になるので、あまり使いません」
 そうかいと頷いて、エレノアは剣の相手にならないことを残念がる。獣人の兵士が武器を持ちたがらないという話は珍しくない。特に、大振りな長剣や槍、大弓などは、身軽な種の生き物に変化する獣人には嫌われやすい。
 だから、セシルの言い分は間違っていないし、至極普通なことだった。だが、それを嘲笑うようにエレノアは呟く。
「まぁ、武器なんて持って歩くと、ユキが嫌がるかもしれないしね。良かったね、武器に頼らずに戦えて。あの娘も喜ぶだろう」
 きゅっと赤い唇が弧を描く。分かりやすく息を止めた少年は、必死に感情を抑えながら小声で王妃に問う。何でもない顔で聞き流したり、曖昧に濁したりという術は彼にはないようだ。
「あの、王妃様、先程からユキ様を引き合いに出されるのは何故ですか。私が姫付きの護衛だから、それだけですか」
 ここまで何も言い返せなかったが、いい加減文句を付けたくなったようだ。これまで大して反抗の素振りは見せたことがなかったのに、彼女の言葉に、どこか痛みを感じているという顔で言う。
 エレノアはセシルの態度に戸惑いがあるのを見透かして、変なことを聞くねと微笑んだ。
「可愛い娘を話題にすることが、そんなにおかしいかい? 愛娘に相応しくない護衛ならさっさと解任するが、お前はなかなかあの娘に合っているようだし、ユキも気に入っている様子だから、あたしはただ嬉しく思ってそれを口に出しているだけさ」
 こんな浅い理由なのに、何を深読みしたのか。どうしてこんなことを聞くのかと、ねずみを追い詰めた猫に似た、楽しげな瞳で問い返す。セシルは言葉をつまらせ、眉を寄せて悩む仕草を見せた。耳もしっぽも視線も下がり、叱られているみたいだ。
「ユキ様は、姫です。王族の方には、名家の出身の子息や令嬢が伴侶に選ばれます。先程のように、私のような息子がいたら楽しいだろうなんて、軽々しく口にすべきではないと思いました。気に入っていただけるのは光栄ですが、私は姫様付きの護衛に過ぎません」
 一度言葉を切って、彼は耳をぴくりと動かす。彼の異変を察したエレノアは仕立て屋に「まだかかるかい?」と問いかけ、「今しばらくお待ちを」との答えに「ゆっくりしていい」と返した。続けて部屋の入り口に立つ護衛も外へ追い出す。最後に、深紅の瞳を、苦さを隠しきれていない少年に向ける。
 セシルは立ち尽くしたまま、緩く拳を握って、口を引き結んでいる。「何を悩んでいる」と優しく先を促すと、震えた声が力なく笑いをこぼした。
「聞いて、笑って下さいエレノア様」
「いいよ、ここはあたしの部屋だ。秘密は守られる。言ってごらん」
 王妃はテーブルの上で両手を重ね組む。激しい気性の持ち主であることが嘘のように、彼女は穏やかな微笑みを浮かべた。
 少年は目を合わせようとはしなかった。だが、迷子のような顔で、セシルはまとめられないままの言葉を吐く。
「オレ、この間、レイス王子にユキ様の婿にこいって、冗談を言われて、真に受けてて。どうしたらいいのか分からなくて、ユキ様の話題は全部、自分をからかう言葉に聞こえるんです。オレがいらいらしてるのを隠せていないと、ユキ様は気付いて心配そうな顔をしてくれて……あの人にそんな顔させたくないんスけど、優しくしてもらえるのはすごく嬉しくて、ありがたくて、それで」
 消えそうな声が語る悩みを、エレノアは黙って聞いていた。馬鹿息子が何を企んでいると、愚痴を呑み込んで「それで?」と少し首を傾げる。
「それで、このままでいられるか心配になっちゃって。もしオレがユキ様のことを本当に想うようになったりしたら、だめじゃないですか。だめなんですよ。オレみたいな下っ派を婿に迎えたりしたら、ユキ様の立場が危うくなります。ただでさえ敵の多い人なのに、こんな獣混ざりの奴をそばに置いて、何を言われるか分からないでしょう? もっと高貴な人の方がいいに決まってる。それに、誰かに急かされて人を好きになるなんて失礼です。ユキ様はいい主人です、優しくてたかが護衛のことも気にかけてくれて、繊細で謙虚で真っ白なお姫様で。嫌いなはずはないけど、でも、好きの意味が違う。王子に何か言われて、それで見る目が変わるなんて、そんな動機でユキ様の隣になんか立てない。オレじゃだめなんです」
 もっと言いたいことは多くて、言いたいのに言葉が浮かばなくて。辛そうに噛んだ唇は色が変わってしまっている。そのまま思い付いたことから続けそうなセシルの名を呼んで、顔を上げさせた。
「お前が悩まなくはならないのは、そこらに転がっている悲劇みたいな身分違いのことじゃないね」
 エレノアとセシルが話していることを察して、衝立の向こうで仕立て屋とメイドがユキに何かを話し始めた。手慣れた姫付きのメイドがいるため、彼女の寡黙さに会話が切れる様子はない。
「あたしは昔は随分モテて、引く手あまただった。うちの実家より身分の低い家の男はねずみのように多かったし、あたしを手懐けようとするお偉い馬鹿様も多かった。その中にゲイム様の弟君、当時は王子の一人だった人もいたよ。全部ふってやった」
 つまらなそうに溜め息を吐いて、王妃はセシルをじっと見つめる。彼女は自分の恋愛経歴に呆然としている少年に、くすりと笑みを溢す。
「身分なんて、恋の前では塵ほどの意味もないんだ。ねぇ坊や、好きかどうか、あたしみたいにはっきり分かれば楽なんだけど、お前は自分が気付く前に、いや、好きという感情が芽生える前だったのかね、横から茶々を入れられて分からなくなってしまったんだ。ユキを好きだと言ったね。それが恋愛感情だとはっきり分かれば、何も迷うことなんてない。好きになったのなら、相手が神でも悪魔でも満足いくまでただ愛せばいいんだ」
 迷いのない紅い瞳に見入って、セシルは口を閉じたまま固まっている。エレノアは何故レイスがセシルを選んだのか、考えてみろという。頭が働かなくて首を傾げる彼に、珍しく丁寧な説明がされた。
 レイスは王になる。妹に王座だけは与えない。そして、王家の人形である彼女を、施政の場に出すつもりもない。養女だからといって後ろ楯となる名家出身の男なんて必要なくて、むしろ「姫」の肩書きを利用する野心がないことが、レイスにとって妹の夫を選ぶ条件になってくる。
 レイスが恐れることの一つは、ユキの自分に対する発言力だ。可愛い妹の言葉を無下にできない自信がある彼は、ユキを使って自分に逆らう者が現れないように手を回すつもりなのだろう。だが、それは自分の王座を確固たるものにしたい、という考えからのものだけではなさそうだ。
 そもそもユキは、ゲイム国王とエレノアの娘として扱われているが、血を重んじる王家の方針としては、出身が曖昧な彼女に王位継承権はないものとしている。もう少し大人になってから説明はされるが、当のユキには女王になる気持ちなど元からないだろう。
 彼女の価値は限られる。財力の後ろ楯には困らないが、ただただ美しいだけの、声なしの姫がユキだ。王族の箔はあっても、王になった兄からの厚い待遇を期待するのがいいところ。姫の夫として政治に口を出すくらいなら望めるかもしれないが、王にまで成り上がるには明らかに力不足で、それでも「王族」の肩書きは与えてくれる貴重な存在。
 ファースト王家の名を求め言い寄る相手は多いだろう。しかし、レイスはそこに愛情や優しさを求めているように思われる。単に自分に有利な都合がいい相手をユキにあてがうだけなら、王子ご指名のセシルは獣人という出生や身分の低さ、器用とは言えない性格など、どう考えても使い勝手が悪い。確実に他からの講義や反発があるはずだし、彼では適当にあしらうことも出来ないだろうし、問題の種になることは目に見えている。
 なのに、それでもセシルをと言ったのは「ユキのため」を重視しているからだ。レイスはユキを「姫」ではなく「妻」と扱う相手を求めている。ユキを利用価値抜きで、心から愛し幸せにしてくれる男。ユキに慕われ、彼女を危険から護る力だけあれば十分、そんな男。その答えがセシルではないかとエレノアは言う。
「王家と繋がりを、自分に覇権を。何もなければ、ユキを待っているのは政略結婚だろうね。あの娘を欲しがる奴らが見てるのは『姫』であって『ユキ』ではない。王族や貴族は自身さえ道具にして世を渡るもんさ。当事者の一人なんだからレイスだって苦労は分かっていたはずなのに、どういうわけかユキを身内にとこだわった。そんなに大事ならメイドとして抱えれば良かったんだ。そうすれば何も面倒は起きないのに、あれは妹が欲しいの一点張りでね。まぁ、あたしは娘が欲しかったから追及はしなかったけど、何か隠しているね。簡単に触れさせないために王族へ引き入れ、降嫁を許さないのは目が届かなくなるのを嫌ったから? 親の断りもなく好き勝手やってくれる」
 いっそ自分の嫁にすれば良かったのにと、王妃は溜め息混じりに息子の不可解な行動を愚痴る。
 言われてみればそうなのだ。厄介ごとの多い王家に引き込まずとも、孤児のユキをかくまう術はあった。なのにレイスはユキに高貴な身分も愛情も幸せも、そして平穏も、我が儘の限りを尽くすようなものを与えようとしている。そのための苦労は惜しむ様子がない。
 握り疲れたように拳を解いて、手の平をズボンに擦りながら少年は視線を落とす。そして、彼なりに王妃の疑問の答えを口にしてみた。
「御自分が得られないものをユキ様に、と?」
「そうだね、ユキにとってのレイスという存在は、あの馬鹿息子には現れない。理想や夢をユキに見ているなら、お人形遊びも頷ける」
 でも、自分に似たあの息子は理想を現実にする力も意志の強さもある。欲しいなら自力で手に入れられる。だから怪しいのだと、エレノアは毛先をいじってセシルを見上げた。
 不安が消えないセシルの瞳に、まだ時間はあるんだから大いに悩めと笑う。彼女は真っ赤な爪を少年に突き付けて、にっこりと瞳を線にした。
「坊や、レイスは母にすら心を読ませず隠し事はしょっちゅうで、挙げ句、嘘まで吐く。そんな男をまともに相手にしたら、お前なんてひとたまりもないよ。お前は奴の言葉でなく、もちろん私の長い話でもなく、自分の心の声を聞かなければいけない。ユキは姫である前に女だね。姫の前でのお前は護衛だろうけど、一人の女であるユキの前ではお前だって一人の男だ。ユキをどうしたい? 自分はどうありたい? お前が何を望んでもレイスは許すと言ったんだろう? あたしが今聞かせてきた小難しいことだって、本当は考えなくたっていいんだよ」

 王妃の笑顔に釣られ、セシルも引き結んでいた口を少し笑みの形にする。レイスは人をからかって鬱陶しい男だが、本当をいえば部下を思ってくれる味方なのだ。何も言われなくてもいつかは現れただろう感情が、早い内に名前まで分かった。それは悪いばかりのことではない。
 不安に耐えようと震えていた声は、穏やかさを取り戻していく。セシルはまだ気弱だけは直らない様子で、小さな声で王妃に問う。
「まだ、自分の気持ちは分からないんです。でもオレだったら、ユキ様を幸せにできますか?」
「そう思ったからレイスはお前に声をかけたんじゃないのかい」
 面白いものを見る目で笑ってやると、気が晴れてきたのか、少年は柔らかそうな耳を起こして深く息を吸って吐いた。しっぽを何度か振って、蜂蜜色の瞳はエレノアを見る。紅い目を見据えて、彼は「エレノア様は政略結婚ってやつでしたか?」と首を傾げた。
 王妃はほつれた金髪を耳にかけて、秘密を囁くように顔を寄せる。そして、「いいや、実家は娘が王家に嫁ぐと喜んだけど、実際はあたしがゲイム様のことを好きで好きで、押し掛けたんだ」と言った。
「恋愛結婚、ってことです?」
「ああ、そうだね。王子をたぶらかした悪女と言われたこともあるけど」
「なら、オレもお姫様をたぶらかす悪い奴になりそうですね」
「嫌かい? お前なんかまだいい方だと思うけどね。ほったらかしにしてると、本当の悪い男がユキを拐うかもしれないよ。いや、レイスが代わりを見付けてくるのが先かねぇ」
 冗談めかして言うと、せっかく立ち直った耳が機嫌悪く後ろへ倒れ、優しい瞳に鋭さが差す。つい今まで気弱そうだった雰囲気が、守るものを持った番犬のように急に威圧的になる。
 自分ではだめだと言っていたわりに、他人にユキをとられるのは嫌なようだ。その矛盾が意味することに気付くまで、あとどれくらいかかるだろうかとエレノアは笑みを深める。
 セシルが不満やら反論やらを思い付く前に、彼女は上機嫌なよく通る声を衝立の向こうへ投げた。まだ終わらないかい、という声に応え、衝立の脇から銀髪が覗く。蒼い瞳がもういいの? という風に瞬きを繰り返すから、エレノアは愛娘をおいでと腕を広げて呼んだ。
 恐る恐るメイドと仕立て屋が後ろから続き、御機嫌斜めのセシルに不思議そうな顔をした。駆け寄ってきた姫も彼の苛立ちを察したようで、心配そうに手を伸ばす。
 小さな手を取るだけ取り、王妃を相手に何故不満顔だったのか、少年は急いで言い訳を考える。妙案が思い付かないセシルに代わり、美しく微笑んだエレノアは意地悪せずに答えた。
「マカロンを食べさせたんだけど、口に合わなかったんだよ。犬はオレンジを嫌がるみたいだ」
 テーブルに乗った茶菓子を突つく母に、娘も使用人達も納得顔で頷いた。

 それからしばらくして、母と娘で揃えたドレスが仕上がり、試着をすることになった。仕立て屋が衣装箱を運び入れ、メイド達が二人に着せていく。袖や裾の長さをみて、デザインが思った通りかを鏡で確認する。
 今日もユキは護衛とメイドを連れてきているが、兄は珍しく公務が立て込んでユキの誘いを泣く泣く断ったという。彼の従者であり秘書役もこなすアズも同じで、エレノアの玩具が勢揃い、とはいかなかった。
 しかし、今日は国王が時間を割いて王妃の部屋に来ている。愛しい妻が、それは嬉しそうに娘とのお揃いドレスについて話すから、ゲイムも御披露目前に見てみたいと駆け付けたのだ。
 彼は激務の間の癒しとしてエレノアとの触れ合いを楽しむ。今も衝立越しに他愛ない話をしては、まだ出てこないのかと急かしている。
「お前は何を着ても似合うが、黒は大人の女性を特に魅力的に見せる素晴らしい色だ。外交の場に黒い服を着たお前を連れて行くと、皆そちらばかり見て話にならない。かく言う私も、黒に映えるその白い肌や紅い瞳に見入って仕事どころではなくなるがね。まったく、人目に晒すのが惜しいと思うほどに君は美しい」
 レイスのお喋り好きは父親に似たものだ。気に入っている相手を褒めたり愛でたり、言葉は惜しまず隠すこともない。好かれた相手は心地好さと若干の鬱陶しさを感じる、なみなみと注がれる言葉の量に、セシルは目を丸くして耳を立てていた。
 王の人柄は穏やかで、周囲を和ませる空気を持っている。今などは執務から離れて、妻や娘も近くにいるため、一国の王というより愛妻家の旦那さんといった感じだった。なので、室内のメイドや何人かいる警護の兵士も、王と同じ空間にいるからといって過度に緊張したり恐れたりはしない。
 王妃が用意させたテーブルの菓子をいくつか摘まんで、これはエレノアの好物だ、これはユキが喜びそうだと、女性陣に遠慮しながら口に運ぶ。そして、「君はこれが好きなんだって?」と、オレンジ色のマカロンを指して見せた。
「君、最近エレノアが君の話をよくするのだ。随分と気に入られたな」
 刺が丸見えの言葉を笑顔で言い放ち、ゲイムは娘の連れてきた護衛に冷や汗をかかせる。オレンジのマカロンは国王の嫌がらせか、王妃の悪戯か。何とか「姫様の護衛として至らない点がまだ多く、王妃様には常々御指導頂いております」とかなりの回数で噛みながら答える。そんなセシルを救ったのは、少女の瑞々しさを持った甘い声だった。
「おや、そんな坊やにヤキモチなんて。あたしの愛をお疑いか」
 楽しそうな笑い声に、王と護衛は部屋を仕切る衝立に目を向ける。試着と直しが目的だからと、緩く編んで結い上げた金髪の下、宝石の気品と輝きを宿す深紅の瞳が男達を見ていた。華美な化粧はしていないが、それは逆に初々しい乙女に似て美しかった。
 艶のある黒い生地は所々に白いレースとフリルが入り、彼女の白い肌もドレスの一部のように見える。肩から手首に向かって広がる袖は蝶の羽、腰から下のふんわりとした形は黒薔薇を集めたブーケに似ている。
 夜会にふさわしい華やかなドレスは、今のエレノアには少女が背伸びをして着た、そんな印象を持たせる。だが、彼女の隣にいるのは正真正銘の幼い少女だった。
 しかし、不思議と大人びたドレスがユキにも似合って見える。それはレースの白と、見事な白銀の髪とが溶け合っているためだろう。清楚に華やかに、肩へ降り注ぐ雪のごとき銀髪は、そこだけ色を持った蒼い瞳を際立たせる。
 不安そうに揺れる視線が父と連れの少年を見付け、どこか怯えたように下を向いてしまった。照れなくていいと王妃が彼女の肩に手を置くが、目を合わせようとしない。
「ユキ様っ」
 突然セシルが声を上げる。ゲイムが妻を褒め称えようと口を開いて、そのまま驚きに動きを止めた。エレノアはきょとんと目を丸くして、呼ばれたユキもぱっと顔を上げて目を瞬かせる。
 部屋中の視線を一身に集めた護衛の少年は、悔いるように口を手で隠して耳を折った。小走りに主人のそばに寄って、彼は王妃を気にしてから蒼い瞳を真っ直ぐに見て言った。
「とてもよくお似合いですよ。王子がいつも言っていますけど、ユキ様は本当にどんなお召し物も着こなしてしまうんですね。自信を持って、笑って見せて下さい」
 少年の明るい笑顔と弾んだ声に、姫はおずおずと気弱な笑みを作る。腰を屈めていたセシルが膝を着き、今度は彼女を見上げて小さな手を握る。もっともっとと目で訴えられて、やっとユキはほにゃりと柔らかな笑顔を見せた。
 エレノアはその二人を見て微笑む。少女は母を見上げて照れ混じりの嬉しそうな顔で笑い、父のもとにぽてぽてと駆け寄っていく。少年も彼女の背を見て微笑み、あとに続こうとした。だが、相変わらず王妃が気になる様子で、ちらりと振り返って耳を折る。
 蜂蜜色の瞳は何か言われるかと上目遣いにエレノアを見ている。深紅の瞳を優しく細めて、彼女はしゃんと背筋を伸ばしセシルの横を靴音高く通り過ぎる。
「ユキは、一体何を気にしていたんだい?」
「え、と。国王様は『黒は大人の女性を魅力的に見せる』と仰りました。ユキ様は幼い自分には似合わないものと勘違いされたようでしたので」
 怖々返してきたセシルの言葉に、エレノアは「なるほど」と素直に感心して頷く。
「お前、女の扱いは下手だし女心も分からない子だけど、ユキのことなら分かるんだね。言葉であの子に魔法をかけられる奴だったとは、なかなかやるじゃないか」
 言ってやると、彼はからかわれたのか褒められたのか分からなかったようで、きょとんと目を丸くして首を傾げた。その様が慣れない音を聞いた犬に似ていて、王妃は弾けるように笑い、王が何事かと駆けつけ、少年は嫉妬からの文句をくどくどと聞かされる羽目になった。

 母と娘のお揃いドレスは、王妃が自慢するためだけに開いた夜会で、大変に微笑ましいと話題になった。普段は王妃に絡まれることを疎み顔は出さない王子も現れ、妹姫の夜会姿を囃し立てた。相変わらず妹が可愛くて仕方がない様子で、ユキばかり構う彼に王妃は同じ服なのに何故褒めないと思う存分絡んだ。
 黒地に白いフリルとレース、そしてラベンダー色のリボンがあしらわれた、エレノアにもユキにも似合う華やかで愛らしいドレス。年の差は随分あるはずだが、同じ形で同じ色合いの服を、二人はまるで姉妹のように品よく着こなし人々の注目を集めた。
 レイス王子は母に突つかれたくないことが話題に上がったため、言葉巧みに言い逃れ、ユキを褒めちぎった後に姿をくらました。従者のアズは彼の我が儘をたしなめたはずだが、行動を制するまでは至らなかったようだ。しかし、こんな遊びの夜会で、特別呼び付けたわけでもなかったので、息子の風来坊ぶりには王も王妃も目を瞑った。
 夜も更けてユキが眠そうに目を潤ませ始めた頃、陽気な会はお開きとなった。憧れだった娘とのお揃いを目一杯自慢して歩いたエレノアは、御機嫌の様子で王を引き連れ部屋へ向かう。途中の廊下で、少し先に下がったユキを見かけた。
 ユキはその儚げで柔らかな微笑みを、半歩前を行く護衛に向けている。普段の彼なら逆に半歩下がって後ろにいたり、二人で散歩に出た時などは隣を歩いたりする控え目な様子を見かける。だが、今は先導するように姫の手を引いていた。
 楽しそうに話をしながら、部屋に戻る廊下をのんびりと歩いている。寡黙な娘だから喋っているのは護衛の少年セシルばかりだが、ユキは頷いたり笑ったり、とても嬉しそうだった。
(ああして人の姿でいることが増えたね)
 エレノアは声を掛けることはせずに視線もそらし、腕を組んで歩く夫に甘えた。
 今までのセシルは不便がなければ、獣の姿でユキに付くことがほとんどだった。人と話さねばならない時、ユキを世話する時、社交の場に連れられていく時。言葉や手先の器用さが求められる時は少年の姿を見せるが、耳や鼻の利く狼の能力を警護に役立てるため、姫と二人でいるだけなら獣でいるのが常だった。
 それが、少し前からは人の姿で姫の隣にいるところが、城内でもよく見られるようになった。それもほとんどの時が姫の真横に立っているのだ。もちろん公の場では護衛の立場でユキに従えられる形を変えないが、彼女の散歩などはまるで友人のように親しく振る舞っている。
 たかが護衛の若造が調子に乗って、という声が多少なり出ているのはエレノアの耳にも届いていた。しかし、セシルの様子に図々しさはなく、彼が姫をそそのかす素振りももちろんない。彼の態度が変わってユキに何か変化があったわけでもない。
 不信が高まることを避けようと、王や王妃、レイス王子が人の集まる朝の挨拶の場で、ユキに「最近セシルと随分親しくしているが、いつも何を話しているのか?」と問うたことがあった。その時は、彼女は母の掌に指で言葉を綴りこう答えた。
「セシルは鳥の声で種類が分かるので、教えてもらうのです」「花の種類も、咲いている場所も知っていて、部屋に飾るリース作りを手伝ってもらいました」「兄様にと一緒に紅茶の葉を選びましたら、彼はみんな味が同じだと言うので、教えています」
 他愛ない朗らかな内容に、父も母も兄もセシルの行動を咎めることはしなかった。護衛職ではあるがこれからもユキの話し相手をしてやるようにと、周囲の目のあるところで言い付け、エレノアは彼を庇って見せた。それにより、セシルは姫だけでなく王妃のお気に入りとして、立場を固めることができた。
 少しずつ、セシルは変わっている。レイスは思惑通りにことが進んでいるはずだが、これといった反応を見せない。王はユキに遊び相手ができて良いと言い、王妃もおもちゃが増えて上機嫌でいる。ユキも可愛がっている狼がいじめに遭いにくくなったと喜んでいるようだ。
(誰もあの子を止められない。穏やかであまりに自然で、咎める隙がない。坊やが歩みを止めなければ、また王家に一人、毛色の違う妙なのが仲間入りか。ゲイム様の代は賑やかで異例な代になるね)
 王の血を引かない娘、その夫は獣の姿を合わせ持つ護衛上がりとなるのか。王家の恥と言われるだろう不純物の介入は、しかし王の許容の大きさの表れでもあるとエレノアは考える。なにせ、彼女自身も懐の広い男でなければ抱えていられない、王より態度が大きい高飛車な女だ。
「ゲイム様、このドレスで今度、公務の場に付いて行かせて下さいませ」
 紅い瞳をきらきら光らせ、自慢する機会を増やしたいとねだる。美しい妻に腕を絡めとられ、王は少し困り顔をした。甘やかしてやりたいが、自慢したいのは同じ気持ちだが、彼は「だめだ」と柔らかく断った。
「そんな素敵なドレスで着飾ったお前を人前に出しては、誰がお前に想いを寄せるか、心配ではないか。それに、私も見ていたくなる。気になって仕事がはかどらないのは困るのだ。あまりに美しい妻を持つと、自慢したい気持ちと独占したい気持ちとで、夫は苦労するのだぞ。分かっておくれ」
 彼は愛妻家だが、妻に弱い夫というわけではない。可愛い妻の我が儘はほとんど聞き入れるし、付け上がる彼女を強く諌めることはしないし。一見すれば優位にあるのはエレノアのようだが、実際には彼女がゲイムに逆らうことなどない。
 エレノアは気位が高く他人の言うことなど聞きやしない、高慢な女王様のような女だ。しかし、この夫にだけは従順だった。王が意思を示せば必ず従う彼女の姿勢は皆も知るもので、聡明な王が止めないのなら、王妃の行為も発言も王の意思として認められている。
 このエレノアのゲイムに対する従順さは、夫への愛からきている。唯一愛した男にだけ、彼女は全てを許し、捧げる。だから、ゲイムの言葉に強い口調がなくとも、エレノアは簡単に言いくるめられる。
 最愛の夫に褒められて気分が良いエレノアは、おねだりが失敗してもふてくされた顔はしなかった。代わりに、宝石のように輝く目でじっとゲイムを見つめ、靴音高く彼の前に進み出るとそのまま立ちふさがる。
 王妃は出会った頃と変わらない瑞々しく美しい顔に、愛らしい笑みを浮かべ何度でも王を誘惑する。どんな男にも膝を折らせた微笑みを惜しげなく見せ、普段の高慢からは想像しがたい甘えた声を出す。自分にしか許されないエレノアの表情や声色が、ゲイムを捕らえて放さない。
「ならば、このドレスはユキと揃える時以外は、ゲイム様の前でだけ着ることにしましょう。あたしを連れ歩かない分、外での妻の自慢には言葉を尽くして下さいませ」
「ああ、そうするよ。自慢話が増えたから、皆にはしばらく鬱陶しがられるな」
「ゲイム様」
 猫撫で声で妻に呼ばれ、可愛いやつだと微笑みながら「何かな?」と彼は先を促す。エレノアは軽やかに身を寄せて、細い腕を伸ばし夫の頬を柔らかく手で包んだ。果物のように艶やかな赤い唇が、御機嫌な笑みを作り囁く。
「あたしを独占したいと」
「うん? ああ、そう言ったな」
「すでにこの身も心もあなた様のものだったはずなのに」
「そうだな。だが、時々、本当にお前が私のものか、確かめたくなる時があるのだよ」
 折れることを恐れるように、細い腰をそっと抱き寄せたゲイムは紅い瞳を覗き込む。眩しげに目を細めれば、王妃は恥じらい視線を逸らす。そして、夫の広い胸に頬を擦り寄せ、もう一度、別のことをねだる。
「不安にお思いなら、あたしが捧げたものが本当にその手にあるのか、確かめて下さいませ。思うままに、あたしを独占なさればいい。存分に可愛がって」
 ゲイムはエレノアの言葉に苦笑する。
「はは、出会う前から、君が恐ろしい娘だと聞かされていたのを思い出したよ。人から逆らう意思を奪う天才。男を籠絡させる天才。今も変わらず恐ろしいな」
「あら、恐ろしい女と知っていて、あなたは懐に入れて下さったのでしょう? ついに嫌気が差しまして?」
 まさかと笑い、ゲイムは輝く金髪に唇を落とす。妻は夫の口付けに、くすぐったそうに身を捩る。あやすように背を擦りながら、彼は耳元に唇を寄せた。
「恐ろしいと言われ、しかし引く手あまただった君が、私を選んでくれた。地位がなければただの冴えない男だった私を、どうして選んでくれたのか分からない。不安の種だ。エレノア、また教えておくれ。何故私なのか。今もまだ私なのか」
 エレノアは瞳を輝かせ頷く。微笑んだゲイムが「夜を長くできたらいいのにな」と冗談を呟くから、エレノアは「夜の国の王でも無理なことがおありでしたか」と笑って答えた。

−終−

2014.7.22


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